あなたにとって「いい服」とは?
今日11月29日はいい服の日です。「いい=11」「ふく=29」の語呂合わせで、学生服で有名な株式会社トンボが制定しました。「いい服」とは何か、「いい服」を作るのに必要なものは何かを考える日とされています。この機会に「いい服」について考えたいと思います。
今の私達にとって服といえば洋服ですよね。私は京都に住んでいるので街では和服を着て歩いている人も比較的多く見かけますが、そういう人達も日常的にはやはり洋服を着ている人が大半だと思います。日本には和服という長い歴史のある服があったのにもかかわらず、なぜ洋服に変わっていったのでしょうか?まずその歴史を見ていきたいと思います。
16世紀にポルトガルやスペインからキリスト教宣教師が日本に渡来すると、日本でも西洋風の服飾(南蛮服)が見られるようになりました。
織田信長が西欧の服や鎧を着ることを好んだことは有名ですね。昨年大河ドラマ「おんな城主 直虎」の中でも市川海老蔵さん扮する織田信長は西欧風の衣装で登場していました。ですが、一般には全く浸透せず、信長は南蛮かぶれの変な人というような扱いで、日本人は皆が和服を着ていました。
江戸時代には日本は238年も鎖国政策を敷いていたので、外国からの輸入品はほとんど町にはありませんでした。基本的には人々が西洋風の衣服を目にすることはありませんでしたが、長崎の出島に駐留するオランダ人等の服装は、出島以外でもオランダ商館長が江戸参府等をする折などに目にすることはできました。
江戸時代の末期(江戸時代は1868年まで)1858年の日米修好通商条約により各地の港が開かれると、役人や通訳などの直接外国人と交渉をする立場の人間を中心として、洋服を着用する人達が現れます。江戸時代にはキリスト教に対する禁教令により、洋服を着ることは忌避されていましたが、幕末になると軍備の西洋化を進める諸藩や幕府で、西洋式の軍服を導入し始めます。1864年、禁門の変を理由に長州征伐の兵を挙げた時に、軍服を西洋式にすることを決め、日本橋小天馬町の商人である守田治兵衛が2000人分の軍服の製作を引き受け、試行錯誤しながら作り上げます。日本での洋服の大量生産は、記録に残る限りこれが最初だとされています。この頃、最後の将軍である徳川慶喜がナポレオン3世から贈られた司令服を着た写真が残っています。また長州奇兵隊の兵士も西洋式の軍服を着ていました。この時代に外国からどんどんいろんな物・文化が入ってくることになり、正式に洋服が日本に入ってくることにもなりました。
明治になると明治政府は欧化政策をとり、その一環として伊東博文は宮中での洋服着用を推進します。1872年の太政官布告339号(大礼服及通常礼服ヲ定メ衣冠ヲ祭服ト為ス等ノ件)により、男性については、ヨーロッパの宮廷服にならった大礼服などが定められました。
またその前年の1871年の散髪脱刀令により髪型も従来の髷からザンギリ頭になり、一般にも広まります。「ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」という有名な言葉が当てはまる時代です。西洋スタイルをいち早く取り入れた人は新しい時代をリードする、進んでいる人と見られました。
以後、警官・鉄道員・郵便配達人などの制服や、教員の服装などが西洋化しました。制服の製造またその払い下げ品を扱うところから、洋服の仕立て屋や貸し出し店が各地にできることになりました。そして1887年には現代の高校生にあたる男子の制服が初めてできました。軍服を参考にした学生服(詰め襟の学ラン)です。
大正時代にサラリーマン層が成立すると、公の場では少なくとも男性は洋装でネクタイを着用するのが当たり前となりました。しかし、自宅に戻ったら和服を着て過ごす人も多く、職業によっては仕事の際にも和服を着用していました。(時代は違いますが、サザエさんの波平さんも仕事ではスーツ、家では和服でしたね。そして小説家の伊佐坂先生はずっと和服でした。こういう人が随分長い間いたということでしょうね。)
一方、女性の洋装化は遅れて、上流階級では鹿鳴館の舞踏会で着用されました。鹿鳴館は、明治16年(1883年)、お雇い外国人のジョサイア・コンドルの設計によって、東京日比谷の一角に建てられた洋風建築です。明治政府は、幕末から残っていた外国人の特権をなくそうとして、不平等条約の改正にとりかかりましたが、それにはまず日本が文明国であることを諸外国に納得させなければなりませんでした。そこで、日本にも社交界やダンスパーティーがあるということを見せようとして夜会や祝宴、貴婦人慈善会などが開かれました。きらびやかな西洋風のパーティー会場に着物姿は不自然なので、女性達はウエストをコルセットでしめつけ、フレアスカートをまとう西欧風のファッションを取り入れました。しかし、この鹿鳴館の服装は、4年間しか続きませんでした。外国からはマナーやエチケットの悪さや無理してる感を嘲笑され、国内では退廃的だとか西洋に媚びているとか非難されて幕を降ろすことになります。女性達も慣れないコルセットに苦しんでいたかもしれません。
1886年に女性の大礼服などが定めらましたが、やはり一般には和服が着用されていました。
大正時代に入ると、モダンガール(モガ)やバスの女車掌などの職業婦人は洋服を着ましたし、1920年を過ぎると、女学生も、セーラー服の制服ができました。
また、1923年の関東大震災では、身体の動作を妨げる構造である和服を着用していた女性の被害が多かったことから、翌1924年に「東京婦人子供服組合」が発足し、女性の服装の西洋化を目指す運動が盛んになりました。1927年9月21日には、同組合主催により、銀座三越で日本国内初のファッションショーが開催されます。また、日本橋にあった「白木屋」デパートで発生した大規模火災で、和装の人々に被害が多かったという認識が示されたことも相まって、従業員の服装を西洋式に改める百貨店が増加しました。百貨店主導でやや洋服の一般化が進むようになっていき、太平洋戦争の前くらいには、多くの人が洋服を着るようになりました。
1930年代後半から40年代前半にかけては、太平洋戦争の戦時体制下の物資欠乏により繊維・衣服の統制が極端に進み、1940年に国民服令によって男性にはカーキ色の軍服のような国民服が定められます。1942年からのに衣料切符制度においてスーツの点数が高かったこともあり、流通する衣服の大半が点数の低い国民服となりました。
女性には和服と洋服を折衷した婦人標準服が制定されましたが普及せず、和服をリメイクしたもんぺを着用する人がほとんどでした。今年7月から放送されていたドラマ「この世界の片隅に」で多くのもんぺ姿の女性が登場していましたね。
戦争による壊滅的な打撃を受けた日本は、敗戦後はアメリカなど連合国からの援助に頼ることになりました。食料などと同様、衣料品も不足し、GHQの放出衣料(古着)を通して、洋服が流通し、「占領軍ファッション」として流行しました。パンパンと呼ばれた街娼たちや米軍兵士の妻になった女性達がファッションリーダーにもなりました。昭和博物館では昭和期の最大の事件は、日本人の洋装化であると述べています。
このように、服といえば洋服という感じになったのは、1945年の終戦後からということになります。今から73年前ですね。「日本は西洋に比べて洋服文化が遅かったからコーディネート力やデザイン力が劣っている」などという人がいますが、世界でもファッション革命が起こり、現在のファッションに変わったのが20世紀の初めなので、たかだか40年ほどの差なのです。長い歴史の中で見れば大した差ではないと私は思います。
戦後洋服が一般化し始めた当時と比べると、日本は随分と豊かになり、今では多くの種類、形のものがありますし、素材も年々開発され、いいものが世の中に沢山溢れている状態になりました。この多すぎるぐらいにある服の中で「いい服」とはどんなものでしょうか?
私はやはり“個々人のこだわりがどこにあるか”によって変わると思っています。
私自身若い頃は、見た目に格好いい、おしゃれな服が「いい服」で、着心地などにはあまり関心がありませんでした。母がTシャツ1枚買うのにも「ポリエステルは息がつまるような気がするから綿100%のものがいい」などと言い、カジュアルスポーティーなTシャツならいくらでも綿100%はありますが、おしゃれ着タイプだと中々なくて、「色やデザインは気に入ってるけど綿100%じゃない」と、どんどん却下する母のおかげで、長い間探し回ることになり、「こだわりすぎ!」と憤慨していたものでした。ですが、自分がだんだんと当時の母の年齢に近づいてくると、「肌触りのいいものがいい」とか、「軽くて肩が凝らないものがいい」とか、着心地の重要性が高まってきました。まして以前に経験した色んなことから「ベロアは一方方向にしか布が滑らなくて、着ていると段々ねじれて変なことになってしまうから嫌だ」とか、「光沢素材のシャツは着ていると汗がムレてなのか?なんだか変な匂いがするから嫌だ」とか妙なこだわりが出てきてしまいました。素材の開発は年々進んでいるので、改善されて今は大丈夫になっているかもしれませんが、買って長時間着用してみないとわからない部分なので、試着では計り知れず、買う気になれないというものがあったりもします。今の私にとってはおしゃれなのはもちろんですが、着心地のいいものが「いい服」です。
人によって“こだわり”はそれぞれ違いますよね。
①格好よさやおしゃれ感など「見た目重視派」
②軽さや肌触りなど「着心地重視派」
③アウトドアやスポーツなどライフスタイルに合った服を求める「ライフスタイル重視派」
④カシミヤやシルク、本革や伝統的な手工芸品など「高級素材や本物重視派」
⑤着脱の早いジッパーや物が入るポケットがあったり、汗の吸放湿など「機能性重視派」
⑥憧れや、ステイタスなど「ブランド重視派」
⑦こんなものがこの値段で買えちゃった!など「価格重視派」
⑧時流に合ったおしゃれに敏感な「トレンド重視派」
など、ざっと考えてみただけでも色々です。もちろん複合の場合も大いにありますし、一人の人がTPOによって違う部分にこだわることだって普通のことです。
ただ、「いつもベースとして必ずこだわってるかな?」と思うものがその人の本当のこだわりです。それを叶えている服がその人にとっての「いい服」ではないでしょうか?
服を作る企業からすると、自社のターゲット層が何にこだわるかを調査して、それを叶える服を供給することが大事ですよね(当たり前のことですが)。
私達も自分は何にこだわっているのかを一度整理して、「いい服を買ったな」と満足できるお買い物をしましょう!
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