時代はエコファーになってきている
今日(11月20日)は、「毛皮の日」です。「いい(11)ファー(20)」の語呂合せで日本毛皮協会が1989(平成元)年に制定しました。
最近では動物愛護運動の輪の広がりからか、あまり毛皮のコートなどを着ている人は見なくなりましたが、一昔前までは、暖かで上品な質感の毛皮のコートはエレガントな女性の憧れでもありました。往年のハリウッド女優“グレタ・ガルボ”や“マレーネ・ディートリッヒ”などのイメージでしょうか。
制定された当時はこれからの寒い季節に毛皮のコートなどが欲しくなる時期であることから、多くの毛皮の需要促進キャンペーンが見られ、この記念日が制定されたのでしょう。この機会に毛皮について考えたいと思います。皆さんは毛皮ってどう思いますか?
まずは毛皮の歴史を振り返ってみましょう。
ヒトは昔、ゴリラやチンパンジーといった類人猿に近い生き物でしたが他の類人猿とは違って、体毛がとても薄いのが特徴でした。その代わりヒトは他の類人猿と違って、皮下脂肪が発達していて、その皮下脂肪が退化した体毛に代わって断熱材の働きをしていました。ですが皮下脂肪があるとはいえ、陸上の他の哺乳類のような豊かな体毛がないので、今から500~700万年前、チンパンジーに近い生活を送っていた私たちの祖先は、氷河期を服と火の発明で乗り切ったと思われています。保温のための服と言っても、当然、この時代に今のような衣服があったわけではないので、ヒトは、保温性の高い他の哺乳類の毛皮を利用して寒さをしのいでいました。
300〜200万年前の旧石器時代でもやはり毛皮は衣服として使われていました。防寒具として毛皮に代わるものはなく、特に寒冷な気候の北ヨーロッパなどでは毛皮は生活に欠かせない必需品でした。紀元前58年〜51年にかけて記述されたカエサルの「ガリア戦記」の中にも北の民族であるゲルマン人が毛皮を着用していたという記述があります。ガリア戦記を描いた映画「グレートウォーリアーズ」の中でも確認できます。
古代になると、毛皮は富と権力と威信を意味するものとなり、紀元前2年、バビロンの女王はインドから8,000枚の虎の毛皮を持ち帰り宮廷の床を飾り、中期エジプト王朝ではヒョウの毛皮を王家の象徴としました。
11世紀以後に急速な発展をとげたインカ帝国ではチンチラを王家の毛皮に定め、西ヨーロッパではアーミン(オコジョのこと尻尾の先の黒い点が特徴)が王権の象徴になりました。
1200年~1300年代、十字軍戦士はシリアやパレスチナから新しいファッションを持ち帰り、それらのコスチュームの多くには、珍しい毛皮の装飾がほどこされており、毛皮はファッショナブルでトレンディーなものとなりました。
人々が毛皮に限りのない興味を示すので、毛皮は課税の対象となり、15世紀のイギリスでは、王族、貴族、そして1年に少なくとも100ポンドを教会に寄付することが出来る人々だけが、セーブルと白テンを着ることが許されるという法律が採用されたというエピソードも残っています。
封建時代のヨーロッパでは、高級な毛皮は宝石などと同様、財宝として取り扱われました。イギリスのヘンリ−8世(在位、1509〜1547年)は王公、貴族以外の者が黒い毛皮を着用することを禁じました。とりわけの黒テンの毛皮は子爵以上の者しか着用できないとしました。このころはテンの毛皮が非常に高貴なもの扱いだったんですね。
18世紀以降にはヨーロッパ全土に広まり、貴族はキツネ、テン、イタチなど、庶民はヒツジ、イヌ、ネコなどの毛皮を使用していました。身分の高い者とそうでない者で使う毛皮は分けられましたが、毛皮の人気は人類の歴史上長く続いてきたのです。
日本では中国から毛皮が渡来したと言われています。古くは奈良時代にまでさかのぼるようです。資料として聖武天皇の時代、西暦730年に中国から貢物として黒テン(セーブル)があったという記録が残っています。
しかし、日本の温暖な気候から、毛皮は防寒着としての必要には迫られていませんでした。また、動物の肉を食べるという文化もなかったことから、日本では毛皮をまとう習慣はなかなか定着しなかったようです。
日本の現代、毛皮がファッションとして日の目を見たのは昭和34年(1959年)、皇太子の明仁親王と美智子様のご成婚の際、実家を出る時に身に着けていたサファイアミンクのストールが当時のテレビで大々的に放映され、世の女性たちがミッチーブームで熱狂し、ミンクのストールが注目された時です。
当時日本は岩戸景気で大衆も豊かさを実感し、享受する時代に突入していたので、毛皮はそれまで一部の権力者や有力者だけの贅沢品だった状態から、一気に一般労働者層でも頑張れば手が届く、高価で贅沢だが一般的な装飾的意味合いの強い衣料品にまでなりました。とはいっても日本は洋服の歴史が浅く、気候風土からも毛皮は必需品ではなかったので毛皮は身分や地位をあらわすステイタスシンボルとしての意識がより強く、昭和45年頃までは敬遠されていました。
最初は毛皮といえば衿巻きやショールが大半を占めていました。
しかしコートとしての毛皮が少しずつ一般の人々に浸透しはじめると、ようやくファッションアイテムとして気軽に装えるという認識が生まれました。
日本のバブル期にミンクの毛皮のコートが流行しました。肩の張ったボックスタイプで、見た目はかなりごついものでした。私の母や叔母たちもこの頃にミンクの毛皮のコートを買っています。当時かなり高価なものでした。7年ほど前にこのコート達を譲り受けました。昔のごついミンクの毛皮を、今風のデザインにリフォームしようかとも思うのですが、毛皮の作り替えはなかなか大変で、着手できずにタンスの中で眠っております…。
20世紀の半ば以降になると狩猟による毛皮の採取は減少し、大半は飼育場で飼われたものの毛皮を加工し生産するようになります。いわゆる毛皮の養殖です。天然の毛皮は世界各地で産出するものの、重要な供給地は寒冷地だけになっていきます。キツネが最初は養殖され、次にミンクの養殖が始まりました。今では世界の毛皮の85%以上が野生由来ではなく、毛皮用の動物養殖農場から生産されています。その毛皮用動物養殖場での動物の扱いが問題視されるようになっています。1980年代の終わりにはナオミ・キャンベル、クラウディア・シーファー、クリスティ・ターリントン、シンディ・クロフォードなど一世を風靡した当時のスーパーモデル達が毛皮ファッションに抗議し、ファッションショーで毛皮を着ることを拒否しました。「動物はいいけど、毛皮はダメ」「毛皮を着るなら裸のほうがマシ」といった動物愛護のキャンペーンに参加しています。
2004年から2005年にSwiss Animal ProtectionなどNGOの調査で、中国河北省の毛皮生産現場の劣悪な動物飼育施設や、アライグマが意識のある状態で毛皮を剥されているなどの実態が明らかになって以降、中国だけではなくフィンランドやノルウェーなどでも毛皮用動物養殖農場の劣悪な飼育環境について告発が続いています。私は2004年から2005年にファッションの勉強をしにミラノに留学していましたが、台湾人の友人に当時ネット上に出回っていたアライグマが意識のある状態で毛皮を剥がされる映像を見せられました。中国人の女性がアライグマを地面に叩きつけて気絶させ、そのまま皮を剥いでいくのです。その傍らにはケージに閉じ込められた数匹のアライグマがいて、仲間がされていることを怯えながら見ていて、次に自分の番が来た時、「いやー、いやー」とまるで人間が叫んでいるような声を上げながら必死でケージにしがみつき連れて行かれまいと抵抗している映像でした。その映像を見た後しばらくはあまりの残酷さに胸がふさがり、何とも言えない重たい気分になりました。養殖農場の中でゲージに閉じ込められている動物には常同行動や幼児殺害、自傷行為、共食いなどの異常行動がみられ、近親交配の結果、斜頸や難聴、免疫不全の個体が生まれています。1着のフォックスコートには約10匹、ミンクコートやラクーンコート、ラビットコートには約30匹の動物が使われます。毛皮は動物を苦しめ、環境にも猛烈な影響を与える。法学者で動物の権利を主張するフランシオンは、一般に不必要な動物への危害は避けるべきだとされているが、毛皮も不必要な危害の禁止に反し、やめるべきだと指摘しています。
この毛皮を使わない“ファーフリー”の傾向は今やラグジュアリーブランドからZARAやH&Mといったファストファッションブランドにも広がりを見せてきており、ずいぶん前からファーフリー宣言をしているステラ・マッカートニーは有名ですが、ベルサーチやアルマーニ、マイケル・コース、そして昨秋グッチが、今年になってバーバリーが毛皮不使用を発表しファッション業界に衝撃を与えています。日本でもユニクロやマッシュホールディングスがファーフリー宣言をしています。
今、本物の毛皮(リアルファー)の代わりに使われているのが合成繊維を使った“エコファー”です。少し前まではフェイクファーと呼ばれていました。昔のフェイクファーは少し使うとバサバサになり、手触りもツヤも本物とは随分と違う安っぽい印象のものでしたが、技術の進歩により今は本物とは見分けがつかないような人造のファーが作り出せるようになり、“フェイク”だと偽物という感じがしてチープで安っぽい印象があることから“エコファー”と呼ぶようになっています。
個人的に私は毛皮が好きです。街で毛皮の柔らかそうな商品を見ると思わず触って、手触りがいいと頬をスリスリしたくなります。暖かそうで少しゴージャスな見た目もいいと思っています。防寒のための衣服として毛皮の代わりがなかった時代と違い、今は様々な暖かい素材があり、「敢えて動物を苦しめる毛皮を使用しなくてもいいじゃないか」という意見もありますが、毛皮の魅力というのも確かにあると思います。その毛皮が人工的に作れて、リアルファーと遜色がないものになっているのであれば、私は全くエコファーでいいと思います。未だに、特に年齢が上がるほど「本物の毛皮でないと…」という人が多いのも事実です。やはりステイタスという意識がどこかにあるのでしょう。気持ちは分からなくもないのですが、ファッションや時代に敏感な人であればあるほど、エコファー嗜好になるのではないかという気がしてなりません。
これからのものとしてはエコファーを選び、そして既に衣服になっているリアルファーについては、その命に感謝して、大事に使っていかなければと改めて思います。粗末に扱ってはいけないのです。タンスの奥で眠っているミンクのコート達も、着られるようにリフォームして息を吹き返させてあげなければと決意する私でした。
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