身近な存在のデニムのこと知ってますか?
今日10月26日はデニムの日です。 世界中で親しまれているデニム製品の素晴らしさをより多くの人に知ってもらうため、「デ(10=Ten)ニ(2)ム(6)」の語呂合わせで岡山デニム協同組合が制定しました。
デニムというとジーパンのことだと思う人が多いのではないでしょうか?
デニムと言ったり、ジーンズと言ったり、ジーパンと言ったり…その違いは何でしょう?
まず「デニム」です。デニムとは厚手の綿の綾織物のことで、生地のことを差します。
一般的なデニムは、インディゴ染めの縦糸と、染色されていない横糸で織られているブルーデニム。ほかには、ホワイトデニム、ブラックデニムや、赤・茶色などの「カラーデニム」と呼ばれるものがあります。ちなみに語源は、フランス南部のニーム地方で生産された厚手の綾織物(サージ)を指す「セルジュ・ドゥ・ニーム(Serge de Nimes)」という言葉。これがやがて「デニム」となりました。この織物は、コットンではなくウールや絹の織物で、私たちが呼ぶジーンズやデニムとは全く別の布のことだったのですが、なぜかこの織物の呼び名がデニムの語源になっています。不思議ですね。ですので、本来なら「デニム」というのはパンツを表すものではないのです。
そして「ジーンズ」は、デニムなどの厚手の生地素材を使ったパンツのことを差します。
「ジーンズ」の語源は、イタリアの港町「ジェノバ(Genova)」に関係していて、イタリアのジェノバから来た船員たちが穿いていたパンツをアメリカの人たちがジェノバ製という意味の「ジェンズ(Genes)」と呼んでいました(ジェノバ人を意味する「ジェノイーズ(Genoese)」の説もあり)。その後、ジーンズの特徴をもって作られはじめたパンツ類も同様にジェンズと呼ばれるようになり、それが次第に「ジーンズ」と発音されるようになりました。
ですので、「デニム」は生地、「ジーンズ」はパンツのことと思ってもらえれば大丈夫です。ちなみに「ジーパン」は「ジーンズ」+「パンツ」の和製英語ですので、日本以外では通じません。(和製英語で通じないものって結構ありますよね)
ジーンズというとアメリカンカジュアルのイメージがありますが、ヨーロッパで流行っていたデニム生地を、イギリスから新天地を求めてメイフラワー号に乗ったキリスト教清教徒の一派がアメリカに持ち込んだのが始まりになります。
世界で最初のジーンズが生まれたのは1848年の金鉱の発見で起こったゴールドラッシュの時でした。一攫千金を夢見た人が、世界中から大勢カリフォルニアに集まり金鉱掘りをしますが、すぐにパンツが破れてしまい、丈夫なパンツが必要とされていたことが発端です。
ジェイコブ・デイヴィスは生成りのキャンバス地などを仕入れ、荷馬車のカバーやテントを作って販売していた職人でした。木こりの奥さんから「絶対に破れないズボンを作って」という注文を受け、10オンスのキャンバス地で作業ズボンを縫っているときに、たまたま机の上にあった馬具に使うリベット(鋲)をポケット口に打ち込んでみました。すると、補強されたその作業ズボンはまたたく間に人気になり、次々と注文が殺到するようになります。彼が生地を仕入れていたリーバイ・ストラウス社に手紙を書き、このズボンの特許を申請しました。ここでジーンズの元になるデザインが誕生しました。
1890年にリーバイ・ストラウス社が申請したリベットつきパンツの特許がきれると、たくさんの会社で様々なジーンズが作られ、ジーンズの文化はより豊かなものになっていきます。
女性にとってジーンズはというと、第二次世界大戦(1939〜1945年)前は労働着で、しかもゆったりとしたダボダボのシルエットだったからという理由もありますが、それ以上に、センターフロントにあるボタンフライ(またはジッパーフライ)のパンツであることのほうが大きな理由でジーンズは避けられる傾向にありました。当時、女性用パンツはセンターではなくサイドにジッパーがついていたので、センターフロントにあるジッパーをおろすことがとても男性的だと抵抗があり、とても良くないことと思われていました。それを変えたのが戦争です。
第一次と第二次世界大戦中は男性が戦場に行く中、男手の代わりに女性は兵器工場や農場などで作業員として働いていて、作業着・労働着には主にジーンズが採用されていたことから、女性がジーンズを着用するきっかけとなり、戦後のジーンズのファッション化に大きな影響を与えることになりました。女性服への戦争の影響って本当に色々なものがありますね。
ジーンズが若者の主張を込めたファッションとなる大きなきっかけとなったのは1953年の映画「乱暴者」で主演のマーロン・ブランドがLevi's 501XXを、55年の映画「理由なき反抗」でジェームス・ディーンがLee RIDERS 101を着用し、若者が影響を受けた時です。
マーロン・ブランドはワイルドでセクシーで、なおかつ危ない、不良的なキャラクターで名を馳せていて、「乱暴者」の中で黒い革ジャンと黒いブーツ、そしてジーンズを身に着けた姿が印象的でした。
ジェームス・ディーンは大人や社会に対して反抗する若者を演じ、それまでの時代になかった“若者”問いうの存在を世間に見せつけました。それまでの社会では「大人」と「子供」の二種類がいて、「子供」は「未熟な大人」であると認識されていたのです。そして反抗児や不良が、必ずしもスラム街や貧しい家庭環境などから生まれるものではなく、ごく普通の一般家庭からも生まれるものであることを表現しました。ナイーブで傷つきやすい若者が共感しジーンズを穿く人が増えましたが、当時のアメリカでは「反抗的な若者の象徴」と見なされたため、ジーンズの着用を禁止する学校が多かったのです。
1960年代前半にはリーバイスやLee、ラングラーといったジーンズブランドがヨーロッパに進出し、イギリスで流行したモッズムーブメントで、モッズたちは細身のスーツ、細身のシャツ、股上の浅いパンツを穿いていましたが、細身の白いジーンズも好んで穿くようになります。
そして、ジーンズはビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、女優ではジェーン・バーキンなどが穿きこなし、60年代から70年代にかけて、よりファッションに取り入れられていくようになります。
1960年代後半、ビートニクの影響やベトナム反戦運動・公民権運動などの社会運動などを背景としたヒッピームーブメントがアメリカから起こります。ヒッピーファッションには、既に「自由・反抗」の象徴となっていたジーンズが採り入れられました。79年の映画「ヘアー」でヒッッピーファッションが見られます。
またこの時代を象徴するパンツの形「ベルボトム」のジーンズも登場します。
ヒッピーの終焉とともにジーンズはパンクへと継承されていきます。パンクはアンチヒッピー的な立場で、ヒッピーの事なかれ主義、商業化されたロックなどやあらゆるものに対抗して生まれたカルチャーです。1975年頃、ニューヨークのパンクバンド「ラモーンズ」が、Tシャツ、ジーンズを引き裂いたスタイルで登場し、新しい流れを作り出します。
ラモーンズの活躍と、時同じくして、ロンドンでも同様にパンクの流れが来ます。アメリカのパンクに影響を受けた、マルコム・マクラーレン、ヴィヴィアン・ウエストウッド、セックス・ピストルズが活躍します。
こうしてジーンズは、カウンターカルチャー、アンダーグラウンドの象徴として取り入れられてきました。
1970年代以降はそれまでのジーンズと違って、引き裂く、ダメージを与えるなど新しい
新しいスタイルをレパートリーに加え、よりポピュラーなファブリックになっていきます。
1970年頃、イヴ・サンローランはデニム素材をプレタポルテのコレクションに使用し始めます。「ジーンズを私が(最初に)世の中にだすことができなかったことが残念でならない。」という言葉を残すほどデニム生地をこよなく愛用するデザイナーでした。
こうして70年代には、デニム素材のパンツスーツが、ハイファッションの中でも普及していくことになりました。
1976年にはカルバン・クラインがコレクションでジーンズを取り上げ細身でセクシーなデザインされた「美しい」ジーンズを作り出します。当時は男性のみならず、日本でも若い女性がジーンズを穿くようになりました。1977年に大阪大学でアメリカ人講師がジーンズを履いた女学生を教室から退室させたことから「阪大ジーパン論争」が起こったりもしました。
1979年 - 1982年頃にはニューヨークやフランスで、主に女性用のディナーの際に着用してもおかしくないドレスアップされたジーンズが流行りディナージーンズと呼ばれました。ウェストラインが高くスリムでヒップラインを強調しサイドステッチやバックポケットのステッチが凝っているもので、サスーンやカルバン・クライン等の製品が有名でした。
カルバン・クラインは80年代前半に当時15歳のブルック・シールズを起用し「カルバンのジーンズと私の肌の間には何も入れない」というキャッチコピーで行ったCMは爆発的な話題を呼び、カルバン・クラインのジーンズは大ヒットしました。
80年代にはアルマーニ、ラルフローレン、モスキーノなどがジーンズのラインを発表し、90年代もヴェルサーチ、ヘルムート・ラングなどが続きます。私が大学生の頃はちょうどバブルの終わり頃で、イタリアンブランドのジーンズが流行り、周りにはアルマーニ、トラサルディ、ジャンフランコ・フェレなどのジーンズを穿いていた人が多かった記憶があります。私自身は高校時代にフェンシングをしていたことが仇になり、足に筋肉がつきすぎてウェストが62cmだったのに右足の太もも周りが63cmもあったので足が入るジーパンだとウェストに腕を2本入れてもまだ余るぐらいにガバガバで、ベルトでぎゅっと絞らないと穿くことができないという不細工なものだったので、格好いいジーンズ姿を羨ましいなぁ…と思いながら諦めていました。
80年代後半にはケミカルウォッシュのジーンズが流行りました。洗剤(漂白剤)と砂利大の樹脂塊などを共に洗濯機で攪拌する等したダメージ加工の一種で、質感が「サシの入った牛肉」に似ていることから「霜降りジーンズ」などと呼ばれていました。2000年代には時代遅れのダサいアイテムとして侮蔑的に扱われるようになりましたが、2010年代以降に「80年代テイストファッション」が流行すると、10代向けの商品として再流行しました。私からするとどうしても抵抗があるのですが…。
80年代後半から90年代にかけてグランジ(汚い)ブームの流れもあり、かなりビリビリに裂いたクラッシュジーンズも出てきました。
1990年代半ばから後半にかけてはプレミアムジーンズが登場します。アメリカ西海岸から発信されたものでハリウッドなどのセレブやスターが着用したことから、セレブジーンズ(セレブデニム)などとも呼ばれました。大きな特徴はないのですが、バックッポケットにそれぞれのブランドによる凝ったデザインの刺繍やプリントが入っていたり、クラッシュやペイント、リメイクなどの加工が施されていました。レディースからの流れであることからか細身で股上が浅いローライズが多いのも特徴でした。
また日本では1990年代にヴィンテージジーンズが流行します。また、このヴィンテージブームの中で、ヴィンテージジーンズの良さを追求した国内ブランドのジーンズも人気を獲得しドゥニーム、エヴィスなどが代表的なパイオニアで、ジーンズの色落ちが多くのジーンズフリークの中で重要になりました。
2000年にはアレキサンダー・マックイーンが「バムスター(半尻)」ジーンズを発表し話題になります。ジャーナリストからは酷評されましたが、若い男性に指示され、街中で半分お尻が見えているようにずり落ちたジーパン姿を見かけるようになりました。躓いてコケかけて咄嗟に掴んだふりをして下に引っ張ったら、脱げるんじゃない?とよく思ってました。
2000年代になると、クラッシュジーンズやリメイクジーンズを発表し、加工ジーンズが大きく話題となりました。この頃にクラフトデニムという呼び名でパッチワークにしたり、レースやビーズ、刺繍、コインをつけたりなど装飾されたものも流行っていました。この頃になると私も足が大分細くなり、装飾が前一面について、歩くたびにコインが当たりチャリチャリと音がするやかましいジーンズを穿いていました。
今ではヴィンテージもあり、クリーンデニムもあり、少し前に流行ったボーイフレンドデニムのようなぶかぶかのものもあり、スリムもあり、逆にワイドシルエットもあり、ブーツカットもあり、ハイライズのものもあるし(かといってローライズはあまり見ないですが)、アンクル丈もあるしで自分の好みによってジーンズを選ぶ感じでこれが今のジーンズだ!という大きな流れはないように思います。
現在では単にカジュアルウェアとして着用されることが一般的で、1950年のように象徴的な意味が意識されることはほとんどないですが、未だに一般には正装とは見なされません。式典、格式の高いパーティなどでは「ジーンズ着用者は入室禁止(参加不可)」とされることはしばしばあります。ですので、ジーンズで結婚式の披露宴に出席する人がたまにいますが(たとえそれがブラックデニムでも)避けたほうが無難ですね。また、一部では「アメリカの象徴」とされることがあって、韓国と北朝鮮の軍事境界線にある板門店では、ジーンズを穿いた韓国側からの観光客を、北朝鮮が「韓国はアメリカの手先」とプロパガンダに利用する恐れがあるとし、着用を一切許可していなかったことがあります。ただ、アメリカと仲良くしようとし始めている今の北朝鮮では、もしかしたらこれからジーンズを穿く国民も出てくるかもしれませんね。
ここまではジーンズに関するお話でしたが、あと少し、ファッションとデニムとの結びつきを考えたいと思います。1930年代後半から50年代にかけて活躍したアメリカのデザイナー、クレアマッカーデルは1942年、デニムを使用して、服の上からはおるドレス、ポップオーバーを打ち出し、これがアメリカで大ヒットしました。その他にも、デニムを使用したドレスやアンサンブルなどエレガントな要素を加えたファッションを打ち出していきました。
デニム素材と言えば、若者のカルチャーとなったジーンズが有名ですが、クレアマッカーデルのように、エレガントなものに使用する流れもあり、40年代あたりから徐々に、ゆっくりではありますが、お洒落なアイテムとしての地位も築いてきました。
2016-17秋冬シーズンからデニム素材がトレンドに上がってきてエレガントなものにラスティック(野生的な)味付けをしているデザインが継続しています。
まだまだデニム素材を使うとカジュアル感が出るのが現状ですが、この先デニム素材の地位がもっと上がっていけば、格式の高いパーティでもデニムのイブニングドレスも認められていくのかな…と思います。
デニム(ジーンズ)には数々のエピソードがあり、愛好家も多くジーンズの型番やディテールなどうんちくを語ればきりがないので割愛させてもらいました。ジーンズに詳しい方からすれば全く物足りないものだと思いますが、それでもかなり長いものになってしまいました。それだけすごいアイテムだと思います。おばあちゃんになってもデニムの似合う人でいたいなあ。
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