喪服はきちんとしないとね…
今からちょうど一月前12月14日は現在の一般的な喪服に影響を与えたヴィクトリア女王の夫、アルバート公の命日でした。また、先日女優の市原悦子さんが亡くなり、テレビ番組がたくさん放送されています。そして私は3日後に喪服に関する研修を行います。個人的に「なんだか偶然にも喪服を意識することが重なっているな…。」と思い、喪服に関して考えてみることにしました。
喪服といえば中国では白や赤紫、イランは茶色など、例外はありますが、古今東西おおむね黒い衣服というのが慣習となっています。
これがはっきりしているのはむしろ欧米諸国です。2005年に亡くなったローマ法王、ヨハネ・パウロ2世の葬儀では聖職者以外の参列者は皆、黒を着ていました。
主としてキリスト教で行われる欧米の葬儀では、遺族の女性は光沢のない黒一色のアフタヌーンドレスを着て、帽子も手袋もストッキングも靴も、ハンドバッグも全て黒ずくめです。ブラウスを着るにしても黒となっています。
男性は、本来弔問客でもモーニングコートに黒ズボン、ネクタイで、腕に喪章をつけ、帽子には黒紗をまくのが正式でした。でも最近では、単に列席する男性の服装は黒または黒っぽい地の平服に黒ネクタイと簡略化してきて、喪章はつけないのが普通になっています。
もともと、喪に服するのは遺族で、亡くなった人やその家族と親しかった人々は、喪服を着ることによって遺族ともどもその方の死を悼んでおりますという気持ちを表すというのが喪服の役割です。ですので、服喪を表す喪章を遺族以外がつけないのが正解です。ただ、急にお通夜に参列する時などは平服に黒の腕章をはめたり、スポーツ選手たちが試合中に誰かの喪に服す時にはめるのを見ることはありますけどね。
それはさておき、なぜ喪服の色は黒になったのでしょうか?
昔の人はお葬式に行くと、そこに死者の霊魂がいると思っていて、明るい色の服を着ていけば死者の霊魂が自分に気づいて祟るのではないかと恐れていました。でも、黒服でいけば死者の霊魂に見破られない、というわけで黒になったとか、悲しみ以外の一切の感情を抑制するためとか、ただ単に黒は悲しみを表す色だとか言われていますが定かではありません。
古代ローマ、それもキリスト教が蔓延する前、建国して2代目の王ヌマの時代(BC750−BC673)、ヌマの作った決まりごとに、すでに黒の喪服であったという記録があります。
そして、それは当時の先進国の一つエジプトが由来のことだとも。喪服=黒というのは随分と歴史の古い慣習だということがわかります。
西欧諸国で喪服=黒という慣習に大きく影響を与えたのが、冒頭に述べたヴィクトリア女王(1819-1901)です。彼女は夫であるアルバート公を非常に愛していました(政略結婚が多い当時の王侯貴族の中で、愛のある結婚をした数少ない幸せな女王と言えるのではないでしょうか。)
アルバート公の死後、女王は1861年から40年間喪服を着用し続けたと言います。その時イギリスでは喪服が大流行しました。
とてもファッショナブルな喪服だったのですね。
それまで喪に服する時に黒服を着るというのはあまり一般的ではなかったのですが、ヴィクトリア女王に倣って国民も黒服を着たため、以来喪服=黒という慣習が定着したそうです。
庶民はそれまで家族が亡くなっても特別喪服なんか着ませんでした、というよりそんな余裕がなかったし、働かないとやっていけませんでした。
中産階級というある程度豊かな人々の出現で、喪服を買ったり、着たり、女性たちが喪に服して家に籠ったりすることが可能になったわけです。
そういう習慣そのものが女王に倣ったものでした。
アルバート公が亡くなった時は女王に倣って黒いドレスを新調したり、持っているドレスを黒く染めたり、黒い宝石「ジェット」を使ったモーニングジュエリーを購入したり(ジェットのアクセサリーはものすごく流行りました)、パールならOKなんてマナーが生まれたりとちょっとした服喪ブームが起こりました。経済効果はすごかったと思われます。女王に倣ったことは確かなのですが、さすがに一緒になって40年も喪服を着通したわけではありません。女王は喪に服しすぎて公務を半ば放棄し、世間に顔も出さなくなったので国民への影響は徐々に失われていったらしく、喪服のブームはそれほど長くは続かなかったといわれます。2017年のイギリスの映画「ヴィクトリア女王 最後の秘密」の中で、喪服を着た晩年のヴィクトリア女王の様子が描かれています。(ヴィクトリア女王役のジュディ・デンチ氏がはまり役です!)
喪服=黒というのはこうして欧米諸国に定着しましたが、日本ではどうだったのでしょうか?
日本では、人は死ぬと「死体」と「霊魂」に分かれ、「死体」は物理的に「この世」にありますが、「この世」と「あの世」どちらにも属さない状態の「霊魂」は不安定なものと解されました。
死は周辺に何らかの悪い力を与えてしまい、死体や不安定な霊魂に魔物が引かれてやってくると考えられていたのです。
少し前の日本では喪服は死装束と同じ、白いものを着用するのが通常でした。白い喪服を着るということは、「死者と同じものを着ている=死者と同じ状態」とみなされるのです。
死者は親しい人を引っ張るといわれますし、上記のように魔物を引き寄せるとも考えられてきたので、白い着物を着る、つまり死者と同じ姿でいるということは、「死」という悪いものを死者の身内の範囲内でとどめておくという意味合いがあるのだそうです。
また、これから旅立とうとしている死者の不安を身内が同じ衣装を着て応援し、和らげてあげるという意味もあるようです。死者に寄り添う感覚が欧米とは少し違いますね。
この白い喪服から今定着している黒の喪服になるまでに色々な変遷があります。
平安時代に喪服の色が指定されました。この時指定された色はグレーです。
喪服の白はもともと中国の方式に従ったものでしたが、色を表す漢字の解釈を間違えてグレーにしてしまいました。このグレーは勘違いからだったのです。
男性はグレーの装束で、死者との関係の深浅により最長13カ月もの間、喪服を着続けなければいけなかったようです。そのグレーが次第に黒に変わっていきます。風流人の平安貴族たちは、悲しみの深さを色で表しました。色が濃ければ濃いほど故人を亡くした悲しみを表現していたのですね。喪中、喪服の色を濃い黒から徐々に薄いグレーの喪服に替え、悲しみの変化を表していました。平安時代の趣や雅さは、こんなところにまで反映されていたのですね。
ただ、人前に顔を出したり、部屋から出ることがほとんどない女性には喪服らしいものはなかったようです。女性が白い装束を着るのは、死者となったときと出産のときだけでした。
貧富の差が激しいこの時代、黒く染めた喪服を着るのは貴族だけで、庶民は男性も女性も白のままでした。染める手間のかかる黒い布は庶民にはとても高価なものだったのです。
室町時代、喪服は再び白に変わります。これはおそらく、貴族が没落したためのようです。
庶民はこの時代も白のままで、貴族が没落したために白が表舞台に出たのだと言われています。
そして古来から、日本は男尊女卑の考えが深く、喪服も男性は高価な黒、女性は安上がりな白い喪服だったようです。
江戸時代には女性も表に出るようになり、女性の喪服が明確化します。庶民も豊かになり、女性も喪服を着るようになりました。江戸時代の野辺送りの様子では、女性も白の喪服を着ています。
明治時代に入ると喪服はまたも黒になります。
明治政府の外国に追いつけ追い越せの「欧米化政策」に伴い、日本人の生活様式も西洋化していきました。そしてこの時代に皇族や政治家の葬儀で国を挙げて執り行う「国葬」がたびたびありました。その際、会葬者に対して服装の心得が明確に示され、その内容は西洋の喪の色である黒を基本とするものでした。こうして皇族をはじめとする上流階級では黒の喪服が定着していったのです。
しかし和装では白い喪服のままでした。ところが日清・日露と大きな戦争が続くと葬儀も毎日のように行われ、白喪服では汚れが目立ちます。黒なら汚れが目立たないからという理由と西洋のしきたりに倣い、当時の貴族達は黒の喪服を着るようになりました。
明治の中期ごろからは喪主も白装束から紋付羽織袴を着るようになり、また洋服も増え始めました。(ただし、地方では白い喪服の習慣は変わらなかったといいます。)
明治時代末になると今までなかった「告別式」というものが始まります。
その新しい「文化」に対応するため、本来喪服は死者の近親者が着るものでしたが、参列者の服装として転用されるようになったといわれています。
物資が不足していた第二次世界対戦中、男性は国民服、女性は筒袖にモンペで葬儀を行ったといいます。戦争直後には当時の喪服専門の貸衣装屋が、やはり汚れが目立たないからという理由で喪服を黒に統一し一般に広まります。黒い服は結婚式にも葬儀にも両方使える便利な正装とされました。結婚式にはアクセサリーをつけ、葬儀ではそれらをつけないという使い分けをして、この傾向は今もまだ少し残っています。 (最近は「お悲しみのブラッック」といって喪服とは分ける傾向になってきていますが。)
2013年に亡くなった歌舞伎俳優の中村勘三郎さんの葬儀・告別式で、妻の好江さんが真っ白な着物姿でいらしたのが一部で話題になりましたが、日本の伝統芸能である歌舞伎の名跡、江戸歌舞伎最古の家柄である中村勘三郎さんの妻として、日本古来の伝統に従って白い喪服を着られたのだと思います。喪服の色=黒がマナーだと思っている現代の私たちにとっては驚きでしたが、本当に少し前まではお嫁入りの際、「普通より良い家に嫁いだのに、白喪服を持参しなかったことで姑にいびられた」という話が聞かれるくらいに白い喪服の方が正式だったのです。
つまり、今の喪服の歴史は100年程度でまだまだ浅いものだということです。
喪服の定義が厳格だった欧米諸国でも近頃は少し変化があるようで、紺やグレーなど黒以外の濃い色も喪服として受け入れられるようになってきていて、サッチャー元英首相の葬儀に参列した作曲家、アンドリュー・ロイド・ウェバー夫人はライトグレーの地模様スーツを着用していました。
歌手のリアーナはNYで行われたおばあ様の葬儀に紺のワンピースに金のサンダルでした。
黒という慣習が薄れてきたのは、生きてきた人生を祝福しようとする傾向があるのでは?と言われています。
私の母も知人の葬儀に参列した時に、「身内の人が皆平服で、きちんと喪服を着て行った自分が浮いていた。」と言っていました。日本でも亡くなった方が死装束ではなく、生前に気に入っていた服を着せて送り出すといった感じが増えてきているとも言いますし、少しずつ喪服の慣習も変わっていくかもしれませんね。
ただ、今の所まだ喪服のマナーは厳格で、服装だけでなく、女性は、アクセサリーは白か黒のパールかジェット、黒のオニキス。バッグは布製の飾りのないもの、ストッキングは黒、靴も5cm以下のヒールのパンプスなどと決められています。結婚する時に一人前の大人として、一式揃える人が多いのですが、私はその機会がなかったため、自分自身の葬儀用アクセサリー、バッグ、靴は持っておらず、家族のものを借りていました。10年ほど前に父が亡くなった時には身内みんなが喪服を着るので、借りられる人がいなくて、靴だけはどうしようもなく、飾りのない黒の靴でしたが、バックストラップのオープントゥで、ヒールは10cmほどあるものを履いていて、友人達に突っ込まれました。
今ではフォーマルのマナーに関する研修も行っているので、「これではいけない!」と靴を購入しようかと思ってはいるのですが、おしゃれではないので、全然その気にならず、未だにぐずぐずしています。おしゃれかどうかなど問題ではなく、葬儀などは、急に出席することになるので、持っておかないといけないと分かってはいるのですが…。と書きながら再び反省しました。早速購入しよう!と心に決める私でした。きちんと揃えておかないといけないですね。
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